全国各地で局長クラスの人が巡回しながら
新しい天聖経の啓蒙活動がされていますね
私はインターネットでの話を聞きました
「基元節天聖経増補版」というのが正式な名前なのでしょうか?
この新天聖経を家庭に迎えるには一体どうすればいいのか?
その恩恵にあずかるには、どうすればいいのか?
携帯電話の料金プランのように、頭の回転の鈍い私にはサッパリ訳が分かりません
基元節聖酒の献金完納者に贈呈 結局140?(最後は、なし崩し的に金額設定はなくなったが)
古い天聖経も含めて3家庭伝道してその祝福Kをどうたら・こうたら・・
金額は、はっきり言われなかったが、基準になっているのは祝福Kだということはわかったような
この話を聞きながら、諸悪の根源が
祝福を商品化し、献金実績を評価基準にまでしてしまっていることではないかと思いました
「献金は自由だ」と言っていた方に聞いてみたいのですが
祝福献金は 自由ですか? いくらでもいいのでしょうか?
祝福献金は正式には「祝福感謝献金」と言うのだと思います
尊い祝福の恩恵に与った感謝の気持ちとして捧げるべきものではないでしょうか?
今も多分やっているとは思いますが家系図因縁トークで、高額の3000万・5000万のトークの自粛命令が出てから、私の教区では、財把握をしたあとトーカーの提示する額は、祝福献金3家庭分とか5家庭分とか140×○家庭分と言う金額設定にしていました
今はその立場を離れたのでわかりませんが、今回の話を聞けばこのような祝福献金を信徒の献金実績としてカウントしていることは間違いない事実のようです。
それも、本部の局長さんが話すんだから間違いない。
本来祝福の意義が理解でき、祝福を受けたいという主体的心情のもとに感謝して捧げられるべき献金が、本人の自覚もない中、他の家庭の祝福献金を代理で支払うという悪習が出来上がってしまいました
今回の新天聖経の話も、
「皆さん、お金はもう持っていないでしょうから、伝道して、その新しい人の祝福献金が皆さんの実績になるので、そのご褒美が新天聖経です」
簡単に言えばこういうこでしょう。
万民に伝えるべき天のみ言、そんなに素晴らしいみ言集ができたのなら、極力安く配るようにするのが愛と言うものではないでしょうか
光言社やamazonで安く販売すればいいではないですか?
こういうことが、特権階級意識を作り上げ、自分たちは神に一番近い者たちだという間違った優越感を作り上げているのでしょう
「複合汚染」
大昔に流行った言葉なので歳がばれそうですが・・・
最も価値ある祝福が複合的に汚染されてしまったのです
祝福献金140を約束しない者は祝福を受けさせない、完納できなければ家庭出発させないという脅迫・強要
純粋な伝道から、140の祝福献金が目的になるような責任者の指導・目標設定
祝福献金を自らの実績にしようとする自己中心的、功名心と欲
祝福献金140さえすれば祝福家庭になれるという拝金主義
上から下まで 真っ黒け です
もうすでに、上記のようなトークをされて教会員になった方がたくさんおられるでしょう
その方が、また新しい人を伝道するとき同じ価値基準で祝福を見てしまうのではないでしょうか
極論すれば、「祝福は金で買うもの」。代理であっても「金さえ払えば救いの恩恵に与れる」です
お父様の一周忌をタイムリミットにしながら、練りに練って、準備を重ねた
この新天聖経販売路程がはじまりました
これに参加することが、どれほど天の願いから外れていくのか、よく考えてほしいものです
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