2013年5月28日火曜日

お父様がうかばれません

[ボイコット運動]と銘打ってしまうと
なにか、デモ行進でもしそうな団体をイメージされてしまいそうですね、実際そういうご批判もいただきました

正直 なんと名前をつけるかずいぶん悩みましたが、いいネーミングが見つからず時間だけが過ぎて行き

結局こうなってしまいました

いろいろな誤解も受けて当然だと思います 頭が悪いだけです お許し下さい



実は、今の教会に対する現状や理解、原理や摂理の観点については、
このブログが多くを語る必要はないと思っています
肩を並べさせていただくのが恥ずかしいくらい、素晴らしい内容のブログがたくさんありますからね


このブログ村全体を見回してみれば、食口ひとりひとりの立場と見識、経験・良心により
心が動くブログ・記事があろうかと思います

現在このブログ村にある444個のブログなくしては、このブログは成り立たないと言っても過言ではありません

これまでの多くの食口ブロガー達のメッセージにより、
このボイコット運動の趣旨に沿った思いを、少なからず持たれた方へ
そろそろ行動に移しましょうと呼びかけ、
具体的には献金はしないという行動をとる。という提案をさせていただいているわけです

信頼を寄せ、人生をかけてきた教会そのものに反旗を翻すような立場を表明するのですから、ことは深刻です。思いが行動になるには熟成期間が必要です、熟慮されることもひとつの行動だと思います

なので当初からこの運動が大きな広がりを持つには時間がかかると思っております


ただ、誤解のないように申し上げておきますが、教会本部前にプラカードをもって集まり、
何か ”やらかそう” などとは毛頭考えてはおりません

私たちが本当に闘うべきは、教会組織や献金体制ではなく、「自分自身」であることを強調させていただきたいと思います
行動そのものが意味を持つということです

行動による結果(裁判中止など)は天に委ねるしかありません 
私たち個人の手を離れたところにあります
しかし、行動を起こすというその一点は100%自分自身に委ねられています


先日書いたガンジーをまた引き合いに出しますが

Yahoo!知恵袋に、またぴったりの問答がありましたの紹介します


Q ガンジーの「塩の行進」の目的は何ですか?


A 塩はイギリスの植民地政府の専売でした。
  つまり塩を購入するというのは、イギリスに対して金を払っている、という事です。
  ガンジーの非服従という考えは、「金がなければ政府は動かない」という考えから動いていたため、
  これによって国家を変えようとしていたものです。
  その為、毎日数百キロも離れた海岸に塩を作りに行って、これを抗議運動にしたんです。


ガンジーは何か難しいメッセージを語るのではなく、
最もシンプルな行動を共にすることで国家を動かして行きました



皆様がこのブログのメールフォームに記入し、【送信】ボタンをクリックするのはとても小さなことかもしれません

誰も見てはいないでしょう 嘘をつくことだって自由にできます

しかし、私たちは神と霊界を信じる者です
神様、霊界が凝視していると考えるとき、心を直くしなければなりません

そこに意義を見出して頂ければ幸いです


荒野路程をあゆみ終え、すでに定着安着の時代に突入しているにもかかわらず
何をなすべきか未だに悟れず、ただ誰かの指示を待つだけの祝福家庭でいいのでしょうか

手を広げて待っておられる父母の前に、何千回敬礼を捧げ、札束を積み上げたとしても
渇いた親の心を潤すものにはなりえません、条件は何万回捧げても条件にすぎません

自立し、霊的な成長を遂げた真の子女の姿で
愛で通じ合う心情の絆を結びたい親であるはずです

残念ながらこの霊的成長(愛の成熟)は条件だけではどうにもなりません

私は、献金も含めて条件生活をすることが無意味だと言っているのではありません

条件生活から、愛する生活に軸を移しましょう、中心軸をシフトすべき時代に来ているのに
それが やれない のが問題だと言っているのです


そしてその原因のひとつの象徴が献金の強要だと言いたのです

強要と書けば、なにか恐ろしい言葉が飛び交っているように思うかもしれませんが
それは希だと思います しかしそれも事実です
(教会長に怒鳴られ、震え上がって顔が青ざめ 体が動かなくなり 心臓が止まりそうになった婦人も知っています)

どこに行っても、しないといけないような「空気」があります、はっきりとした目標設定をされれば、それができないときは、みな負債感に苛まされてしまいます。勝ち組と負け組のような格差社会がうまれ、天国とは関係のない状況がすでに出来上がっています。教会スタッフと平信徒の関係もそうです。

たとえそのようになっても励まし合う兄弟関係があれば問題ないのかもしれませんが
陰口や妬みの声が聞こえてくるようではもう 赤信号です 感謝できなくなれば終わりです
(私は嫌というほどその声を聞いてきました、この人たちはやっぱり活動屋だ!と思いましたネ)



外国のことはわかりませんが、日本の教会は「条件」「条件」と言いすぎました
食口たちは「条件病」にかかっている、条件依存症患者です

「断食だ!」「水行だ!」「敬礼だ!」

「とにかく条件的にでも目標の1/10だけでもやりましょう」

「これはきっといい条件になるね」

「とにかく教会に来ることが条件だ!」

「条件的にだけでも、やっておいたほうがいいわよ・・」

「摂理のことはよくわからないけど、とにかく条件になるでしょう・・」

私たちは、よくこのような言葉を無意識に使ってきたではないですか?


死ぬまで条件だけをやり続けるのでしょうか・・

愛の復帰を忘れたら本末転倒です


牧会者から末端食口に至るまで条件をやることが聖業であり、み旨であるかのように錯覚し
「天国に行くための保険」に入ることを勧めるように「とりあえず条件だけはやっておきましょう」と・・


この献金ボイコット運動は憎しみを煽り、対立を促す運動ではありません、
裁判中止の請願はトピックであり、本質はもっと内的なものなのです

敵は外にあるのではなく自分自身の弱さです
交渉相手は自分の良心です

慣れすぎた献金行為の習慣性にストップをかけて欲しいのです

家庭を犠牲にし、家族に嘘をついてまでやる献金に何の意味がありますか

もっと本質的な苦労、愛する苦労をしましょう



そうでないと

「お父様がうかばれません」




ONE FOR ALL, ALL FOR ONE スクラム組んで突破しましょう




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